まず、最初に言い訳します。いい感じに酔いながらこの記事を書いています。
では、どうぞ。
私が中学生の頃にカリガリというバンドに出会ったんですが、これがまあかなり衝撃的でした。
当時の私は中二病を発症しており、「世の中ってキレイゴトだらけだよね。本当はもっとおどろおどろしいこととかあるのが真の姿なんじゃないの?」みたいに思っていて(今でもそう思ってる)愛だの恋だのをテーマにした流行歌なんかより、人の痛みや苦悩をテーマにした曲に傾倒していました。
その頃によく聞いていたのはV系と呼ばれる音楽たちで、Dir en grey、ムック、カリガリ、ガゼット辺りをよく聞いていました。
私がカリガリの存在を知ったとき、既にカリガリは活動休止中だったので、レアでコアな曲という印象があり、余計に深みにはまっていったのは間違いありません。
まず、最初に虜になった楽曲がブルーフィルムという曲です。
これは、ベスト盤に収録されているものよりも、過去に発売した曲名と同じタイトルを冠したブルーフィルムというミニアルバムに収録されてるver.が好きです。
このPVはミニアルバムver.の音源のはず。
この曲を知った14歳くらいのころですかね。当時は歌詞の意味なんてちゃんと理解できていなかったんですけど、どこか郷愁感のある曲調が心地よくずっと聞いてました。カラオケでも配信されているので、たまに歌います。(ただし点数はひどい)
※幾つもの高い壁と幾つもの深い傷に、
言葉もなく打ちのめされて、
それでも歩くのなら—――。
という部分が後半のサビの前にあります。
こういうの好きなんです。
かなり電波的でイカレた曲があるのもこのバンドの特徴なのですが、私はそんなトチ狂ったような奴らがブルーフィルムの様な普通の曲を歌ってる時が最高に好きです。
次にご紹介したいのは『君が咲く山』という曲です。
この曲の素晴らしいところは、ボケーっと聞いているだけだと運動会にでも使われてそうな曲というところです。
ところが、歌詞を覗いてみるとかなりエグいです。この狂ってる感じがたまらない。
この曲は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件(通称:酒鬼薔薇事件)をテーマに作られているともっぱらの噂です。
歌詞の中で、
※真っ赤な絵の具で空を描こう。
汚れもない真っ青な空を。
深爪をした指でなぞる、
内気に壊れた君の色。
という部分があるのですが、こんだけ狂気にまみれたことを言いながら、曲調は運動会ってのが最高なのです。狂ってるんです。この手法はCARNIVALというエロゲの主題歌も近いかもしれませんね。
この矛盾した狂気から感じ取れる何とも形容しがたい美しさが好きです。おそらく、私が素晴らしき日々というエロゲをやって魅かれたのはその部分です。だからすば日々は2章が最高に好きなんです。
余談ですが、作詞作曲した桜井青さんは、歌詞の中で句読点を使っているのが特徴で、私がTwitterなどで句読点を多用するのは彼のマネです。この記事も句読点多いでしょ?
次は『冬の日』という曲です。
今の時期聞くとかなりいいと思います。
7分ほどあるので少し長い曲ですね。
ぶっちゃけ、この曲が何を伝えようとしているのかは今でもちゃんとわかっていません。
でも、それでもこの曲の言葉の使い方と曲調が最高に好きなんです。
※僕の「幸せ」は悲しくて死んだ、
きれいで汚い大切だったもの。
錆びた引き出しに深く閉じ込めた、
色んな色した優しさでした。
わかるようで、わからんのです・・・!!
でも最高なのです。
だれかこの曲を私に解説できる人いたらコメントください。
わからないけど、この曲から漂う戻れないあの頃を思い描いてる感じがたまらんのです。
他にもたくさん好きな曲はあるんですが、この曲で最後にします。
『冷たい雨』という曲です。
私が好きで好きでたまらない曲です。私の中ではこの曲が不動の1位です。
中学校の卒アルにも好きな曲としてこの曲を挙げていました。その頃から不動です。
超余談ですが、たぶんこのYouTubeに上がっているのはベスト盤に収録されてるver.です。私は再教育というアルバムに入ってる冷たい雨の方が好きです。そちらに収録されている方が質素に仕上がってるんです。
この曲自体がボロボロになったちっぽけな自分を慰める曲なので、質素な仕上がりの方が良いのです。違いを知りたいという方はアルバム貸します。さあ、秋葉原でプレマルと握手!
この曲に関してはどうしても語りたい箇所が2つあります。
ひとつは、サビの部分。
※あたり前な雨の日の風景が僕に何か伝えてる。
「僕が僕をやめること、それが一番いけないことだよ。」と。
雁字搦めな心の壁がどこかで壊れる音がする。
新しい明日はきっと僕に優しい顔をするだろう。
冷たい雨のあとで—―。
この曲のおかげで間違いなく今の私がいます。
とてもワガママなのかもしれませんが、たとえ誰からも認められなくても、自分を好きでありたいんです。
辛いことがたくさんあっても、自分で自分を捨ててはならない。正直でありたい。
現に私の人生で自分を捻じ曲げてでも他の何かに奉仕するような場面は幾度となくありました。
その度に心が悲鳴をあげます。僕はいやなのに。僕は辛いのに。
こんなことで悲鳴を上げる僕は頭がおかしいのかもしれない。耐えられない僕が悪いのかもしれない。僕が僕でなかったらこんなに苦しむこともないのだろうか。僕は僕でありたいのに。
そんなとき、いつもこの曲が背中を押してくれます。
僕が僕をやめることは一番いけないのだと。僕は僕でいいんだと。この苦しみの先にはきっと優しい世界がある。そのためにも僕をやめてはいけないんだ、と。
そうやって人生の決断をたくさんしてきました。
次にふたつめ。
※嬉しいことや悲しいこと。
数えきれないたくさんのこと。
明日の思い出作るから、僕は僕になるよ。
これは最後のサビに入る前の部分で、長めの間奏の後に入る部分です。
サビの強調ということになるんですが、ここでいう嬉しいことや悲しいこと。という部分が良いのです。そして一貫して自分を大事にするということ。自分を信じて前を進むんだという意志。これがこの曲のメッセージだと思ってます。
さて、一曲目に紹介したブルーフィルムでもそうだったんですが、作詞作曲を担当した桜井青さんが作る楽曲たちには、
”良いことと悪いことは切っても切り離せないのが世の理で、その中でどうしようもなく傷ついてしまうこともある。それでもめげずに頑張りたい。前を向いていきたい”
というようなメッセージ性があるものがときたまあります。たぶん、ご自身で疲れたときなんかに自分自身を励ます意味も込めて作ってる感じがあります。
で、その訴えていることが、その方向性が、CLANNADという美少女ゲームにそっくりなんですよ。
勝手な思い込みかもしれませんが、麻枝准も、桜井青も、「良いことと悪いことは切り離せない。それでも負けない」ってことをひたすらに訴える人だと思ってます。
そして、私はそれが真理だと思ってます。
さて、長くなりましたがここで今日の記事は終わりです。
私と同様に楽曲から心が救われる方が増えたら幸せです。
超余談ですが彼らが再活動してから「続・冷たい雨」という曲を発表したんです。製作者側も自分で冷たい雨という曲を気に入っていたからこそ、アンサーソングを作ったと思うのですが、自分と製作者の価値観の近しさに喜びを感じた反面、続・冷たい雨はちょっとバッドエンド気味という手放しで喜べない複雑な心境になりました。さすが桜井青。おそるべし。CLANNADの後の智代アフターみたいな感じで、私の尊敬する2人はどうしてもその方向にするんよ。だが、それがいい。