プレマルの雑記

いわゆるブログです。

辿り着いた夜食のワケ

最近、変わった夢を見ることが多い。

どういった内容なのかは忘れてしまったのだが、ともかく、朝起きたときに、「なんか変な夢見た」と思うくらいには変な夢だ。

で、夢占いとかで、自分の夢を調べると高確率で出てくるワードがある。

 

「ストレス」

 

ほう。ストレスですか、と。

ストレス溜まるようなことあったかなぁ、と考えてみる。

 

仕事?家族?友人?お金?将来?恋愛?趣味?能力?

 

そりゃあ人並みに色々と悩んだりはするけれど、それをストレスと呼んでもいいのだろうか。

私は自営業者で、父親と私の二人しかいない零細企業の事業主だ。

やれ上司の圧力だとか、そういったストレスとは無縁だし、家族仲も決して悪くない。

友人も新しくできたし、お金だってどん底のピークは過ぎている。

 

きっと、恵まれているはずだ。

そんな私が「ストレス」なんてモノを口に出すことは、失礼だとすら感じる。

同世代で働いている人からしたら、私の抱える悩みやストレスなんぞ、微々たるものでしかないはずなのだ。

 

その私が、ストレス? アホか、甘ったれんな。

 

会社の人間関係に悩む人、いじめられている人、借金で首が回らなくなっている人、恋人からひどい仕打ちを受けた人。

 

そういった人たちに対して、私なんかが簡単に「いやぁ、ストレス溜まって大変だよ。」とか、もうね、馬鹿かと、あほかと。

 

だから、夢占いの結果は、いつも無視。こういう夢を見る人はストレスが~とか書いてあったら、そのサイトをダウト扱い。

俺はノーストレスだ。たぶん。

 

 

 

 

最近、親の話がくどい。

母親は脈絡のない話を超展開させてくるし、父親は偏った意見や、何度も聞いた話を繰り返してくる。

毎日毎日、食卓の時間がつらい。

聞きたくない話を聞いてるフリしてる。

 

うん、そう、ふーん、へー。

 

ひたすらテキトーに相槌を打つ毎日。

点けてるテレビの音はいつも話し声でかき消される。

・・・ああ、今日もテレビ聞こえねぇや。

そう思いながら、相槌を打つ。

 

でも、ここで私が話を聞いてあげなかったら、父と母の話は誰が聞くというのだろうか?

もう、この家には、彼らの話を聞くのは私しかいないのだ。

その役割をしていた人物は、もはや写真の中にしかいないのだから、私がやるしかないのだ。

 

私は、ずっと我儘を通して生きてきた。

その分、親に我慢を強いたこともあったはず。

親だって高齢になってきたし、晩年くらいは我慢や苦労をせず生きてほしいと思ってる。

代わりに私が我慢する日々は、おかしくもなんともない。普通のことだ。

 

理屈は通ってる。だから、私がこのことに関して、口を出す権利はない。ストレスだなんだというのは、ただの甘えとしか思えない。

 

仕事?家族?友人?お金?将来?恋愛?趣味?能力?

 

それぞれに色々と考えることはある。悩むこともある。

が、しかし。

その全てに対して、私がどうこう物申す権利がない気がする。だから、文句は言わない。

 

で、たぶん、それらを鬱屈させて、食事に逃げてるのかな、と。

ストレスをストレスじゃないと言い聞かせて、誤魔化して、何ともないということにするんだけど、もやもやした何かは消えない。

 

そこら辺のはけ口が夜食なのかも。

 

健康に良くないよね、ほんと。

自分をもっとうまくコントロールしてあげたいんだけど、自分のことって、自分ではわからなかったりするんだよね。

 

そんな風に色々考えても、何も考えなくても、明日はそしらぬ顔で来る。

 

うーん、なんかこう、たまにはどこか出かけて、気分転換したいなぁ。

日帰りじゃなくて、ちゃんと泊まり込みで。

お金はかさむんだろうけど、そこは必要経費と割り切って、ふらりと出かけてみようかな。