あれは小学校4年生のころ。
いくつかの「がんばろう」に〇がついた二つ折りの厚紙と、こまめに持ち帰ればよかったという後悔の念が宿った大量の教科書。
それらを照り付ける日差しと、鳴りやまない蝉の声を背に受けながら持ち帰る。
先ほどの厚紙を親に渡し、いくつかの小言を受けることと引き換えに手に入れるモノがある。
そう夏休みだ。
しかし、その永遠とも言えるような長い休日にも学校の先生は目を光らせており、夏休み専用に用意された厄介な刺客を倒さねば、休み明けに大目玉をくらうことになる仕組みだ。
刺客はいくつかの種類に分かれていて、毎日毎日記録しなければ倒せないものから、数日の間机に向かえば倒せるものなど。時折友人と集まって倒すことが効果的と思われがちだが、それは大抵の場合逆効果であることは言わずもがな。
いわゆる夏休みの宿題と呼ばれるこの刺客は、早朝のラジオ体操とともに全国の少年少女から忌み嫌われ、主にお盆を過ぎたあたりから急激に駆逐され始める。
と、まあ、少し恋愛ADVを意識した文章の書き方はこの辺にしといて・・・
小学校4年生の夏休みの自由研究で、私は貯金箱を作ることにした。
なんかこうログハウス風のやつをつくったらカッコよくね?とか思い、近所のホームセンターで木材を購入し、自作することにした。
屋根の部分は丸太っぽくしたくて、購入した円柱形の木材(直径1センチ、長さ1メートルくらい)をノコギリで小分けにしていく。
目測でしか図っていないので、サイズはまちまちだったがひとつ辺り10センチ程の円柱形をいくつか用意した。
屋根と言えば三角形!そう思った私は、先ほど小分けした木材に接着剤を塗って、屋根をつくっていく。
もちろん子どもが手作業で作りあげたので、かなり不格好な屋根が完成した。
あとはこの屋根に壁と床を張れば完成である。
次にやったのは適当なサイズに切ったベニヤ板を、接着剤で屋根とくっつけるだけ。
事前にベニヤの一枚に硬貨が入る程度の穴を開けていたのは間違いないのだが、どうやって開けたんだっけな?思い出せない。
そんなこんなでお手製感満載の不格好な木製貯金箱が完成した。
夏の日差しの中、子どもがノコギリで木材を切断するというはかなりの重労働で、4時間くらいかけて作った記憶がある。
自ら作り上げたその貯金箱に愛着があり、手先が不器用な自分にしては良くできた部類で、これを提出したら人気者になるかもしれないとひそかに思っていたのは秘密だ。
夏休み最終日付近になってまとめて宿題を倒し、意気揚々と迎えた9月1日。
私は遅刻ギリギリに登校するタイプだったので、その日も教室のドアを開けた時にはすでに多くのクラスメイトがいた。
教室の後ろには皆が作ってきた自由研究が飾られていた。
木製の貯金箱というのは私の中ではとびっきりのアイデアだったのだが、案外ありきたりだったらしく、すでに飾られているものがあった。
私は、絶句した。
その木製の貯金箱は、あまりにも精巧に出来ており、しばらく目が離せなかった。
爪楊枝ほどの細い木辺を何十あるいは何百本も使ってコテージ風に作られていた木製の貯金箱。あろうことか本体だけでなく土台となる板まで用意されていた。
天地がひっくり返っても私には作れないモノがそこにあったのだ。
このとき、私には知らないものがあった。
いわゆる『組み立てキット』なるものが世間で売られているということ。
そして私の目を奪ったそれは組み立てキットで作られていたこと。
私は知らなかった。
知らなかったがゆえに、この精巧なモノは自分と同じように木材から購入し作り上げられたモノだと思い込んだ。
何人かのクラスメイトもその作品をべた褒めし、作った当人は「まあこれくらい簡単だよ」と鼻で笑っていた。
小学4年生。
いわゆる高学年の最初であり、子どもながらにプライドが芽生え始める時期。
その日、私は、自分の作品を提出しなかった。
先生には持ってくるのを忘れたと嘘をついた。ちくりと心が痛んだ。
そして帰り道。
私は気が気でなかった。
持ってくるのを忘れたと言ってしまったので、明日には提出しなければならない。
いや数日は誤魔化せるかもしれないが、いつかは提出しなければならない。
こんなお粗末なものをクラスの皆に晒さなければならないのだ。
恐怖でしかない。
なんでこんなものしか作れないんだ。
なんでこんなに不器用なんだ。
なんでこんなものがあるんだ。
提出なんて無理だ。
飾られて、比べられて、笑われるに決まっている。
クラスメイトが私の作品を指さして笑う姿が簡単に思い浮かべられる。
無理だ。
無理だ、無理だ無理だ無理だ無理だ。
笑いものにされる。
馬鹿にされる。
そんなの無理だ、耐えられない。
そして私は必死になって作り上げた木の貯金箱を、
汗を流し、指先が接着剤まみれになりながら作った小さなログハウスを、
学校の帰り道、公園の茂みへと、投げ捨てた。
帰宅してもそのことは何も言わなかった。
なにかとてつもなく悪いことをしてしまった気がして、誰にも言えなかった。
次の日。
先生には昨日と同じように持ってくるのを忘れたと嘘をついた。
また心が痛んだ。
次の日。
また同じように言った。
次の日も、また次の日も。
同じうように言った。もう心は痛くなかった。
それどころか毎日聞いてくる先生が煩わしいとさえ感じていた。
そんなやりとりを何度も繰り返すと、ある日から先生は何も聞いてこなくなった。
幼い私は先生が諦めたと思い、呪縛から解放された思いだった。
これは後日明らかになったことだったのだが、実態は違ったのだ。
私の様子がおかしいので、先生は少し見守ることにしたらしい。
しかし、そこから数日経っても、一向に私は自由研究を提出しない。
何かを感じ取った先生は、いつの間にか母親に連絡を入れていた。
母も母で訳が分からなかったそうな。
なぜならば、自分の息子が一所懸命にノコギリで木材を切断し、かっこいい貯金箱を作るんだ!と息巻いていたのを見ていたのだから。
ある日、学校から帰ると母に問い詰められた。
先生から電話があった、と。
お宅の息子さんだけ自由研究が提出されていない、と。
何かあったのではないかと先生も心配していた、と。
もう逃げられないと観念した私は全てを話した。
母は頑張って作ったんだからそれでいいんだ、と泣きながら私に話してくれた。
キレイに見えたそれは販売されているもので、一から作り上げることの方が何倍もすごいんだと、何度も何度も説明してくれた。
褒められてるのか怒られてるのか。
何だかわからないが、とてつもない後悔の波が押し寄せて、私も泣いていた。
投げ捨てた貯金箱を公園に探しに行ったが、あれから2週間ほど経っており、当然見つかるわけもなく、母が事情を先生に説明し、特別に私の自由研究は免除になった。
そして一年後。
また夏が来て、また夏休みが来た。
また、自由研究が来た。
凝りもせず私はまた貯金箱を作ることにした。
今年は絶対に提出すると母と約束をした。
貯金箱の様相は、前回苦労した屋根の部分に改良という名の手抜きを施し、ただの四角い箱型にすることに。
横をすべてアクリルにし、上下をベニヤ板で挟むことで中身が見える貯金箱を作ろうと思い立ち、昨年と同じホームセンターで材料を揃えた。
改良?が功をなし、作業時間の短縮に成功した記憶がある。
9月1日。
今年はちゃんと不格好でも提出する。そう決意した私だったが、やっぱり気が重い。
いくら既製品だとわかっていても見栄えがいい作品たちが並んでいるのだ。
そこに自分の作品を置かなければならない。
カバンから貯金箱を出せずに立ちすくんでいると、そんな心情など全く知らない友人が登校してきた。
「おう、おはよう。ちょっとコレを見てくれよ、俺の自由研究!すげぇぞ?じゃーん!!」
そこには紙粘土で作られた超絶怒涛に不格好な、おそらく郵便ポストをイメージしたであろう物体があった。
「この上の穴から金を入れるわけよ。へっへっへっ、これで俺も大金持ちだぜ!」
謎のポストらしき物体は、貯金箱だったらしい。
一見してポスト型の貯金箱には到底見えないそれを、自慢げに見せびらかす友人がおかしくてたまらなかった。
笑って、笑って、笑いころげた。
はははと笑うたびに、心が軽くなっていった。
去年抱いた私の悩みを、こいつは簡単に吹き飛ばしてくれた。
なんだ、そんな簡単なことだったのかと教えてくれた。
そんな友人に心の中で感謝をし、私も堂々と見せつけた。
「お前の貯金箱はまだまだだな。俺のを見ろ。中身が見えるんだぞ?すげーだろ?」
負けじと応戦。
二人してお互いの作品をさんざん貶しあったあと、仲良く教室の後ろに飾った。
何人かのクラスメイトが、お前らのは出来がひどい。とからかってきたので、『魂のこもり方が違う』と一蹴してやった。
クラスで1、2を争う見た目の悪い貯金箱が、誇らしげに並んでいた。
こういった話にはちゃんと笑えるオチがつくようで、それは翌日のこと。
お互いの作品を手に取って、どっちが優れた貯金箱なのか論争をしている最中だった。
友人のポスト型貯金箱は上部がパカっと取れて使い物にならなくなり、私の貯金箱も底板が抜けてガラクタへと姿を変えた。
あっけなく壊れた作品のモロさに笑いが止まらなくなり、お互いの不器用さを称えあった。
彼との友情は未だに続いており、数年前犯した私の罪も彼だけは笑ってくれた。
しかし、お互いに大人になり、生活環境も変わった。
彼は結婚し、家を買い、子どもが出来た。
今や立派なお父さんだ。
何かをして遊ぶということは全くなくなり、年に一度、電話でのやり取りがある程度になった。
先日電話をした際のこと。
最近どうだ?とわざとアバウトに聞いてやると、
「どうもこうもねえよ。仕事終わって今から帰るんだけどよ。カミさんから『帰ってきたら話があります』って短いLINEが入ってた。たぶん帰ったら大喧嘩だな、へへっ」
何をやらかしたのか知らないが、笑って大喧嘩と言えるのだから、本当の意味で深刻ではないんだなと察した。
なので、散々笑ってあげた。ばーかばーかって言っといた。
一応念のため、「まあなんかあったらいつでも言えよ。愚痴くらいならいくらでも聞くぜ」とだけ告げて電話を切った。
かつてのように遊ぶことはなくなったが、疎遠になったとも感じていない。
お互いに気を使うことも覚えたが、気を使わなくていい仲である安心感もそのままだ。
こうやって年に一度電話をするだけの関係があと何年続くのかわからない。
10年、20年と続くのかもしれないし、ひょっとしたら電話すらしなくなるかもしれない。
もしもそうなったとしても、何も問題はない。
絆はあの日からずっと続いている。
次に会うのが何十年先だとしても、絆が二人をあの日に戻してくれる。
だから、会わない日が続いたって大丈夫。
いつか顔を会わせたその瞬間、
「おう、聞いてくれよ」
って、少しカッコつけた少年の話し方に、勝手に戻るから。